美学・哲学・悪魔学・詩集


by novalis666
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形而上学的〈風〉についての考察 -Ⅴ 風の混乱


Ⅴ 風の混乱




 ウィトゲンシュタインは、狂おしくその語りえぬものを示そうとするが、それは「この」のない分裂症的世界が実際に彼に襲い掛かっていたからである。彼は「この」なき「私・他者・物」に必死になって「この」をつけようとしている。彼のいう「私」は誰にでも妥当するような自己(私一般)を少しも意味していない。
 むしろ逆である。彼は常に「この私」において語ろうとしているのであって、「その私」(この私ではない私一般)を消そうとしている。

 ところが、恐ろしいことに、その『論理哲学論考』を裏返しに読んで、「この私」を消さなければならないとし、「その私」において「語りうること」、つまり「この私」には「語りえぬこと」のみを語り、「示されねばならない」のに、「この私」にそれを示しもせず、「この私」に「沈黙しなければならない」と脅迫をかける碌でもない読者が大勢いる。このような者たちは、ウィトゲンシュタインを理解しているつもりでいて、実は彼を殺して化物を、ウィトゲンシュタインの別人を創っている。わたしはそういう狂人を個人的にも何人か知っているが、彼らをみると絶望的な気分になってくる。まさに「その私」どもを沈黙させなければならない。

 同様の人種は、無論、どの思想家の読者においてもいるものである。恐ろしいことであるが、それは常に大概多数派である。
 虚偽意識の面の皮の厚さにはいつも恐怖と吐気を覚える。
 彼らが本を読むのは、その本を人より先に読んで自分を批判させないためである。わたしは、聡明で優秀な口のうまい人間を絶対に信用しないし認めない。彼らは自分に敵意をもつ書物を敏感に嗅ぎ分け、それから言葉をかすめとって、意味の方角を正反対に向け、真実から嘘を、善から悪を生み出すことに余念がない。そして、そういうことしかしないでいる癖に、自分はその本の著者の代弁者になったつもりでいつもいるものである。
 こういう人間こそが真の意味での悪魔である。そして白痴の悪霊であるところの死霊、屠殺されるべき豚にして小便臭い麻痺した仔羊である。彼らは自分が迷っているのにそのことを知らず、それより悪い事に、他人を迷いに導く有難迷惑な批評家先生である。愛と批判能力のない優等生的雄弁家と教育熱心なくせに友愛の欠けている幸福なモラリストどもは早く死んだ方がいい。

 わたしは常に思うのであるが、或る思想家の真の偉大さに気づくのは、その人の途方もないバカさ加減や痛ましさを発見したときである。認識の瞬間はいつでも痛ましいものだ。知識と認識は違う。認識するとき、わたしは誰も尊敬しないが、眼前の人を痛ましく、また、愛しいと思う。それは相手を罵倒できるときだ。

 わたしは罵倒することによって、レヴィナスをハイデガーをウィトゲンシュタインを認識する。
 常に、知識は罵倒によって破壊されねばならない。

 そのときに、やっと本の中に閉じ込められていた童心の叡智は、その真実を打ち明け始める。そのとき、わたしが抱き締めるその叡智は、本当に愛おしい。

 しかし、それをしない者が多すぎる。

 それどころか、著者に語らせないために読書する手合い程、嬉しげに読んだ本の話をよくしゃべるものだ。ぞっとすることに、大概意味を信じられぬほど正反対に取っている。
 間違えているものほど、聡明な語調で喋るが、常にその逆が真である。

 このようなことが起きるのは、イロニーのせいである。
 イロニーにやられた奴は、破滅しているし、他者も破滅させる。そして、この国の文化はほとんどそのテの人種によって牛耳られてしまっている。

 だが、一番用心しなければならないのは、優しげな顔をしたイロニー、ヒューモアのふりをしたイロニー、或いはそのつもりになったイロニーだ。これが最も恐ろしい真理の敵なのだ。

 本の読み過ぎで目の潰れた人間の、クソの詰まったひどい目をあなたは見たことがあるだろうか。見えないとしたら、あなたは目を洗った方がいい。あなたも同類になりかけているかもしれない。わたしは常に自分がそうなることを怖れる。
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by novalis666 | 2005-02-01 10:15 | 考察