美学・哲学・悪魔学・詩集


by novalis666
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形而上学的〈風〉についての考察 -Ⅵ 風の叛逆


Ⅵ 風の叛逆




 しかし、そのことは措く。
 とにかくわたしが言いたいのは、巷のウィトゲンシュタイン信者には特にひどいのが多いということだ。

 他の思想家に群がる蝿どもよりも性質の悪い蝿どもの聞くに堪えない羽音となった実に五月蝿い〈語りえぬものについては沈黙しなければならない〉を耳にする度、おまえらこそ黙れ、自分の言葉で語り得ぬものこそが、沈黙しなければならないのだ!と一喝、蝿叩きの愛の鞭でその分厚い面の皮を思い切りひっぱたいてやらずにはいられないような、柄にもない教育的衝動に駆られてしまう。
 彼らは何も分かっていないくせに分かった気にさせてくれる本を常に飽くことなく捜し求めてやまないが、そんなことをするより先に、自分がどれほどひどいバカのロクデナシであるのかを知るべきであるし、人に尋ねるべきである。ウィトゲンシュタインはそれを生真面目に尋ねる勇気をもった人であった。
 
 師匠ラッセルにはじめて会った時、必死の形相で彼が何をラッセルに尋ねたかを想起せよ。自分はまるきりの馬鹿者なのかそうではないのかの問いに彼は命を賭けていた。馬鹿者で無いなら、僕は哲学者になりたい。だが馬鹿者であれば飛行機にでも乗って高いところから墜落し粉々に砕け散ってしまいたい、そこまで思いつめていたからこそ、ウィトゲンシュタインは哲学者に値したのである。実際にはまるきりの馬鹿者であったかもしれないが、そういう見上げた馬鹿者を一体誰が馬鹿にすることができようか。
 
 大概、ウィトゲンシュタインのファンにはお目出度いのが多いが、彼を真に理解したいと思うのなら、分裂症になるか、或いは死ぬほど辛い思いをするがいいのだ。彼は自分の言葉が話すそばから次々にむりしとられて、決して他人に伝わらないような恐ろしい空間に拉致され、命の芯が縮むほど脅かされ、しかし、そこからただ怒りによって、屈辱によって、憎悪と闘志と叫びによってのみ、狂おしく生きて生き抜こうとした一個の気高い人間なのだ。

 哲学者というのは、単に、いや、決して、世界の真相は何であるかについての知識豊富な人間のことを指すべき言葉ではない。逆である。そんな奴はニセモノなのだ。そうではない。哲学者には世界の道理がどうなっているかが絶対に分からないし、また、分かったりしてはいけないのだ。分かるものかというのが哲学である。貴様らはみんな嘘つきでクソッタレだというのが哲学である。おまえらなんか大嫌いだというのが、哲学者の世界への「知なき愛」なのだ。
 いい哲学者というのは、必ず物凄く物分りの悪いバカモノだ。九鬼周造をみるがいい。カントをみるがいい。スピノザをみるがいい。ブロッホをみるがいい。最高に素敵な哲学者というのは、必ずと言ってよいほど、物凄い変人で物凄いクソガキで物凄いバカモノである。

 我を忘れて猛り狂う子供の怒りを胸に持つ始末に負えないバカモノでなければ、どうして物が認識できるものか。厭味なオトナに成り下がって、おのれの分以外何も知らないくせに、パパは何でも知っているつもりになっているオオバカモノのお目出度い先生どもに物のあわれが分かってたまるものか。
 そのようなオオバカモノを憎悪する物凄いバカモノのクソガキである以外に何者でもありたくない奴だけが哲学者であり、絶対的に美しい人間なのだ。
 逆に、そういう哲学者でないような奴は直ちに人類の敵である。

 しかし、この「人類」という語を、ホモ=サピエンスと同義であるなどと思ってはいけない。

 下らぬホモ=サピエンス(知恵ある人=同類)など人類のために滅亡すれば良いのである。
 ホモ=ファーベルだろうとホモ=ルーデンスだろうとホモ=デメンスだろうと何でもホモは同じホモ、そのようなホモセクシャルですらないようなあらゆる安っぽいホモどもは、女子供の敵であるから、撲滅するべきなのである。
 哲学者は、そんな人間モドキどもに生存権など認めない。真の人間というのは、真の意味での最初の哲学者であったアリストテレスが実に正しく定義したように〈理性的動物〉のことである。
 人間を定義するのは、動物的で純粋な子供の理性である。換言すれば、理性は人間の獣性として再発見されなければならないし、わたしたちは、まさに来るべき人間をこのような意味での美しい獣として黙示録的に啓示されなければならないのである。

 哲学者は何も知らない。しかし、哲学者は世界に真実と正義があることを要求する。世界に真実などない。正義もない。法則もない。神もいない。だからこそ、哲学者はそれを要求し、命令し、創造するのだ。
 俺は俺様なのである。俺様のいうことをきかぬ世界など、ただ「ある」だけでは真の世界であるとは認めてやらぬ。そういう意固地な根性と負けん気がなくて、誰が哲学などするものか。

 哲学は断じてお上品なおとなしいおとなびたものではない。理性とは、所構わず駄々をこね、クレイジーに爆発する童心の、絶対的にはた迷惑で野蛮な動物的慟哭なのである。

 世界はロクデナシとバカヤロウとクソジジイと悪党の巣窟である。だからこそ、そんなものを叩き壊すために哲学者は生きるのだ。ロクデナシとバカヤロウとクソジジイと悪党は決して滅亡しない。だからこそ、こいつらを根絶やしにするために哲学者は生まれてくるのだ。一人死ねばもう一人が産声を上げる。世界に邪悪と野蛮と虚偽と醜悪と似非知識がある限り、それを憎み、永遠に許さない弱者の奇蹟の閃光である哲学は常にその地獄の底から立ち上がってくるのである。
 哲学は不可能なものである。不可能だからこそ、哲学は滅びず、常に復活し、逆襲するのである。
 もし世界に荘厳な神がいるとしたら、それは必ず哲学者のかぼそい命が創ったものである。哲学者は神の神である。この世で最も弱い人間である哲学者から、奇蹟のように、偉大な神の光芒が天空に発されるのだ。

 哲学者は命を燃やして思考する。生きること、それは命を燃やすことであり、命を燃やすとは、死に物狂いで考えることだからである。思考とはいかなる祈念よりも激しく真摯な祈念であり、すべての祈念はついに思考へと昇華して、そこに神が誕生する。そして、認識することは、いかなる超能力によってもなしえない凄まじい奇蹟を召喚し成就する、人の唯一のそして最後の魔法の力なのである。

 哲学者とはこのような人間の中の人間のことである。
 人間が人間であることの証明は、「この私」の尊厳の徹底として、おのれの全存在を挙げて火の玉のように哲学し、哲学に死んで、また生まれ来る別の哲人の胸に燃え移る永遠の怒りの炎、怒りの神に変わることなのだ。

 哲学とは「知への愛」(プラトン)などという甘ったれたものではない。クソッタレの嘘つきどもを生まれ生まれに生まれ変わって、いつの日にか絶対にふんづかまえて、その腐った性根を叩き直し、根絶やしにしてやるまで絶対に死ぬものかという厳格で狂おしい憤怒であり、容赦なき正義への要求、最後の審判への命がけの跳躍なのである。

 問題なのは常に「この私」なのである。「その私」などくたばらせねばならない。そのためには、そのいけ好かない「その」を引き千切り、「この」をそのそれに接続させねばならない。
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by novalis666 | 2005-02-01 09:16 | 考察