美学・哲学・悪魔学・詩集


by novalis666
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XⅣ 風の炎上




 差異――むしろ爆発的な、核爆弾のような差異としての差異がある。破壊触発の極限において、差異は同一性の破壊であるばかりか、差異であることそのものへの破壊ですらあることだろう。
 何もかもをぶち壊しにするような純粋な差異は、恐らく〈出来事〉としかいえない。それは炸裂し、吹っ飛んでしまう。後には痕跡というより地をえぐる爪痕のように凄まじい重症しか残らない。ただブラックホールしか残さないような最も野蛮で凶変的な差異というものがある。

 それは野獣的だ。脳髄を破壊し、理性の箍を吹き飛ばしてしまう〈叫び〉としてしかありえないような〈ありえない差異〉というのがある。

 この最大級の差異のことをブランショは〈災厄〉と呼んでいる。わたしの考えでは、この〈災厄〉はレヴィナスが自分の〈イリヤ〉に引き寄せてそれと同一視しているような程度のものと恐らく違っている。

 ブランショが〈災厄〉と呼んだもの、それはレヴィナスの〈イリヤ〉が未だ〈恐怖〉の体験だったのに対し、その〈恐怖〉をすら不可能にしてしまうような何かなのではないか。つまりイリヤがアウシュヴィッツでありサリンであるとしたら、ブランショの(災厄)はヒロシマでありネバダでありハルマゲドンであり怒りの神なのだ。

 〈災厄〉はもはや〈不在〉とはいえない。逆に〈イリヤ〉はまさしく〈不在〉だったのだが、〈災厄〉は現前しないとしても不在ではないような暴露性であり被爆性なのだ。ブランショの思考は被爆者の思考、それも閃光と共に蒸発させられ、恐怖を覚えることすらなく消されてしまった被爆者のなかの被爆者の思考だ。

 だからこそ、逆に〈災厄〉にこそ〈イリヤ〉の恐怖の迷宮を、この恐怖の大王の黒き鉄の牢獄を打ち破る最後の希望をわたしは託そう。〈災厄〉、それは〈奇蹟〉であるのだから。
 それはレヴィナスの神を廃棄するような神であり、律法を完全に爆破して星空に返してしまうような神の〈神の内なる位相転換〉なのである。

 もはや神が神ならざる神となるとき、われわれもまたわれわれならざるわれわれとなることが出来る。しかし、それが「有り得る」とか「可能である」といかいうのではないのだ。「出来る」とはもはや能力とはいえない超能力のようなものだが、「超能力」とそれをいうべきではない。
 それはむしろ〈放射能〉というべきもの、〈根源的能動性〉というべきもの、出来事としての出来事の洪水なのだ。

 風がそれをもたらす。というより、風がそれであるような風媒が既にしてそれなのだ。

 出来事は、超能力でも無能力でも能力でもありえない。それはまさにありえない力だ。放射能力であり、そして一層、不可能力ないし不可抗力としかいえないような魔法なのだ。

 おそらく災厄とはついには星のきらめきである。それは〈存在〉をすら凌駕する〈運命〉の美しさなのである。

―了―




【後記】「形而上学的〈風〉についての考察」は、ひとまずここで筆を置くかたちにて終わる。ベースになった原稿は1996年頃に書かれたものだ。9年後に読み返しつつ、それと格闘するようにして加筆・削除・訂正を行い、ここに初めて人目に晒すかたちとなった。

考察の部分部分には途切れや飛躍が目立つ。これは敢えてそうしたものである。わたしは自分自身の思考を出来るだけ切断しておかなければならなかった。それでこのような、カマイタチに切り刻まれたような形のテクストとなった。

もちろん、わたしのなかで形而上学的〈風〉について考察するという課題はこれで終わった訳ではない。だが、この原稿の続編が書かれる事はもう二度とありえないだろう。せいぜい加筆訂正が行われることがあるとしても、この十四篇からなる断章集に新たな章が付け加わる事はない。

この考察は〈風〉の思考の始まりの場所にある。そしてその扉は永遠にこのままに〈風〉に向かって開け放たれたままにしておかねばならない。
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# by novalis666 | 2005-02-01 02:54 | 考察

『眼球』 1978処女作



 序

『眼球』は処女作である。

この作品は高校1年、十六歳の時に書かれた。この作品の文学的価値については分からない。しかし、ここには当時の僕の離人症の病理体験がどのようなものであったか、そしてそれを僕がどのようにして乗り切ろうとしたのかが、きわめて克明に描き出されている。

僕はこの年、埴谷雄高の『死霊』に出遭った。離人症に打ちのめされて何度も死を考えていた十六歳の少年にとって、埴谷雄高との出会いは天啓に等しかった。『眼球』は埴谷雄高の圧倒的な影響下で書かれた作品である。僕は彼から言葉を与えられ、そして命を吹き込まれたのだといっても過言ではないだろう。彼がいなければ僕はこの作品を書く事はなかった。そしてこの作品を書くことがなければ、きっと僕はもう生きてはいなかった。さもなければ僕は狂ってしまっていたに違いないと思う。だから、埴谷雄高は僕の生命と理性を破滅の淵から救ってくれた永遠の恩人なのである。

この拙い処女作を、だから、僕は今は亡き埴谷雄高の思い出に深い感謝と変わりなき敬愛の念をもって捧げたいと思う。




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# by novalis666 | 2005-01-25 19:27 | 詩集

エンノイア 1988

崩れるひとみがわたしへと振り返る、
彼女のひらいた口もとにすためいていたおこ
       /思い出すことのできない破裂音の
崩れる言葉でわたしを定めようとする。

きみは何を視たのか エンノイアよ
何故、わたしへと脅えるのか、きみは知らない
すがりつく手首に蒼い脈動がはち切れそうに浮かんでいた
打ち寄せる問いで からだをいっぱいにしながら
きみはわたしを摑んだまま 海に墜ちてしまう
もうあのとき きみは亡骸だったのか
エンノイアよ 答えておくれ
きみはわたしを見失い
厳冬の海のしわぶきと白いかもめに
形跡あとかたも無く食べられてしまったのか
きみはわたしを見失い
わたしがきみを喪う刹那に
わたしに何を見定めたのか

きみは夜に拡がる エンノイアよ
果てしない闇空をつややかなひとみにして
きみのまなざしが宇宙を呑みこむ
満点の星座から銀の視線がわたしへと降り注ぐ
きみはわたしを眺めている エンノイアよ
わたしはきみの最央さなかにいる 夢見られているのだ
死んだのではなかったのだね エンノイアよ
エンノイアよ 答えておくれ
夜道を何処までもきみを捜し
尋ねて歩くわたしに現われておくれ
きみは彼方で瞼を閉じ わたしの夢を見続けている(のか)

エンノイア、眠りびとよ
きみは〈死〉のように白く仄光るからだを黒いしとねに横臥よこたえていた
わたしがきみから離れ去ったあの夜明け前から
きみは〈死〉を眠りつづけているのか
安らかに眠れ エンノイアよ
わたしはあの夜 きみが喪われることを知った
きみはすでに〈死〉を身にまとっていた 素裸の白肌のうえに 雪のように
わたしの触れ届かない隔たりが
かなしげにわたしを見上げていた
きみはきみのなかにいた、隙間も無く一致して。
わたしは 独りぼっちで目覚め
わたしを拒む眠りの distance から追われ
雪の戸外へと出発しなければならなかった
きみを そこに置き去りにし けれども
いつの日か同じ場処にわたしを迎えるきみと
世界の果てに巡り会うために

エンノイアよ きみの訃報は
半年も遅れ 黄ばんで届いた
冬木立の下 枯葉をくだいてわたしは
まだ(おそらくは同じ道を)歩いていた
けれども わたしは泣かなかった
わたしは知っていた、きみが
死ななければならなかったと。
口癖のように反復くりかえされたきみの命題を信じたわけではない。
エンノイアよ きみが死んで随分してからのこと
マルク・アランの美しく悲壮な詩に
きみと同じ決意をみつけた
  《わたしは死ななければならない/わたしじしんになるために》
それでも、ひとは生きてゆくものだ。
そうではなく、あの明け方、きみは
もう冷たくなったからだだけで〈存在〉した。
きみはきみじしんに連れ戻され、わたしから永遠とわに奪われていた

死は
あのときに決まっていたこと。

わたしはとっくに終わっていたきみの葬儀に連ならなかった
きみの拙い厭世思想を書き連ねた遺書がもしあったのだとしても
わたしは読む気も起こらない
わたしはきみのために泣く者たちがピラニアだと知っているから。
わたしはきみの死を許す。
そうだ、きみは死んだ方がよかったのだ
きみはなんとしても死ななければならなかったのだ
誰にもそれを咎め、裁き、おこがましく嘆く権利などない。
きみの、きみだけの〈死〉を、何故きみが死んだのかを知る権利など
誰にもありはしないのだ。

そのとき
ひとつの大きな星がわたしの胸に落ちてきた
シュッと消える湯気のような光でわたしをいっぱいにして
きみがわたしに届いたのだった
わたしは泣いた 心からの嬉しさできみを迎えて
けれども 抱きしめるわたしの胸のなかで
きみは溶け、瞬く間に形跡あとかたもなかった
わたしは再びきみを(きみの消滅を)失った

エンノイアよ 死んでしまったのは誰なのか
きみか それともむしろ
このわたしこそが死者なのか
きみの広げる白い夜に迷い
わたしは消えそびれた夢のように 亡者のように残留する幻か
エンノイアよ きみの
崩れる瞳がわたしへと振り返る
きみの顔をもう忘れかけているのに
あのまなざしを忘れることが出来ない
何故きみはわたしへと脅え瞠ったのか
エンノイアよ 教えておくれ
あの瞳がわたしを撮ったときから時は停まり
わたしは
きみの広げる夜の黒眸の淵に吸い取られて
きみの永久とわ魘夢えんむのなかにしかもういないのではないのか
そしてきみの死骸が腐ってしまうように
きみの眼の宇宙と共にわたしもまた消え失せつつあるのではないのか
エンノイアよ きみの死を死んでゆくのはわたしなのか
きみに代わってわたしがきみの成就したかった〈死〉を死のうとしているのか
エンノイアよ 教えておくれ
きみの死後もなお続く、この悪夢から わたしは
きみを解放しなければならないのか

エンノイアよ きみの遠くからまだ発信する声が
あのとき
溶ける彗星とともに伝えられた
ああ きみの声が きみの遺言が遅ればせにわたしに届き/響いたとき
わたしの間近に きみの目に視えぬ現存がわたしを撃った

  《わたしが形跡もなく消え失せてしまった次元でわたしをつかまえて》

そして きみの崩れる瞳が 裂ける大気のあちらから
わたしを見ていた きみは
    わたしを捉えて放さず
              (海へと真逆様に墜落しながら・しかし)
高いところからのように
見定めていた、再び
まるで
きみがまだ
そこに立つかのように。

エンノイアよ きみはもう
いないのに
きみの間近さはわたしを去らない
去らない


大学時代に書いた詩です。
(初出:早大文学研究会会誌(1988.11) 筆名:有栖川真理)


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# by novalis666 | 2005-01-23 15:14 | 詩集

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# by novalis666 | 2005-01-15 23:31 | NoVALIS666関連リンク

二日目


にしても、なんかすごいいい雰囲気のデザインだわな。
タイトル「魔道手帖」にしようかな。。
で、悪魔学とか魔術ネタで行こうかしら。。。

ううう、どうするか。。まだ迷う。
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# by novalis666 | 2004-12-14 15:27 | 日記

とりあえずテストする。




いかすスキンがあったのでここでもなんかやろうと思う。
だが、まだ決めていない。
しばらくはまあ、機能のテストとかCSSとかのお勉強。
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# by novalis666 | 2004-12-13 19:12 | 日記