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[ 2005-01 -25 19:27 ]
2005年 01月 25日 ( 1 )
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序
『眼球』は処女作である。
この作品は高校1年、十六歳の時に書かれた。この作品の文学的価値については分からない。しかし、ここには当時の僕の離人症の病理体験がどのようなものであったか、そしてそれを僕がどのようにして乗り切ろうとしたのかが、きわめて克明に描き出されている。
僕はこの年、埴谷雄高の『死霊』に出遭った。離人症に打ちのめされて何度も死を考えていた十六歳の少年にとって、埴谷雄高との出会いは天啓に等しかった。『眼球』は埴谷雄高の圧倒的な影響下で書かれた作品である。僕は彼から言葉を与えられ、そして命を吹き込まれたのだといっても過言ではないだろう。彼がいなければ僕はこの作品を書く事はなかった。そしてこの作品を書くことがなければ、きっと僕はもう生きてはいなかった。さもなければ僕は狂ってしまっていたに違いないと思う。だから、埴谷雄高は僕の生命と理性を破滅の淵から救ってくれた永遠の恩人なのである。
この拙い処女作を、だから、僕は今は亡き埴谷雄高の思い出に深い感謝と変わりなき敬愛の念をもって捧げたいと思う。
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by novalis666
| 2005-01-25 19:27
| 詩集
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